レーシックを受けたことを後悔するブログ
レーシックを受けようかどうか考えていたころたくさんのブログを読みました。
十人十色意見が違って当たり前ですが、やはり成功率の高い手術とはいえ手術である以上失敗はつきものです。
人によっては失明してしまうこともあります。
失明までの難は逃れたものに、近視の方が遠視になったり、手術を受ける前よりも視力が低下した例もあります。
もちろん成功例もたくさんありました。
でもついつい失敗例ばかり頭に焼きついて怖くなるのです。
どれほど開放的になったとか楽天的な意見のブログを読んでも、後悔している方の声のほうが心に響き怖くなるのです。
果たしてこのままレーシックを受けるべきなのだろうか、それとも諦めたほうが良いのだろうかと頭を抱えてしまったのです。
馬耳東風の精神があれば、他人の意見など一切気にもならないのです。
でも私の場合は気にしてしまいます。
石橋を叩いて渡るとまではいかなくても、三人寄れば文殊の知恵でもないですがいろんな意見を参考にしたいのです。
成功例もあるからこその失敗例です。
成功すれば薔薇色の人生の世界がまっていますが、失敗すればまさに一寸先は闇という風になってしまうのです。
一応コンタクトレンズをしながら日常生活大きな支障がないだけに、リスクを背負ってまで受けるレーシックのメリットが見いだせず悩んでいたのです。
でも最終的にもブログに後押しされたのです。
してもいないことに気を病むほど無駄なことはない、一か八かであったとしても肝がすわるような気持ちで、後悔しない道を選ぶべきだと背中を後押しされたのです。
まずレーシックを受ける決意をしたあと、さらに自分の近所で受けることの出来るクリニックを探したのです。
その中から三つほど絞って、自分の不安に思っていること、疑問質問を三つのクリニック全てにしたのです。
マニュアル化されたような回答をされたクリニックはさけ、こちらが納得するまでデメリットも含めたメリットを話してくださった安心できるレーシックのクリニックにお願いすることにしたのです。
私が見つけた後悔の数々が記載されていたブログの意見の方のももちろん参考にはしましたが、それらの意見を踏まえた上で信頼出来る医師を見つけ、何度も何度も話を聞きレーシックの手術をすることを決めたのです。
終わりよければすべてよしの言葉通り、願ったりかなったりの結果になったのです。
ただ私が決心したときは危ない橋を渡るという感覚は一切なかったのです。
大船に乗ったような気持ちで受けれるクリニックだったからこその、決断ですから誰にでも勧めるわけでもないです。
やはり自分が納得しなければ弘法にも筆の誤りがあります。
そのことだけは心にとめておくことも必要です。
その上で項を奏する結果となるのだと思うのです。
後悔もちろん私だって結果が反対であれば同じように言ってたかもしれないのです。
ブログという不特定多数が見る場所で、自分の意見を述べることが出来るからこそ正直な意見にとても参考になったし、たくさんのことを考えるきっかけとなったのです。
しかし最終的にはプロである医師の見解を聞き、疑問質問に対して回答をもらうことが、レーシックを受けることを決定した理由につながったのです。